シンガポールの歴史

シンガポールのの歴史

ライオンの町を意味する

現在は、日本からも8時間の距離で観光地としてよく知られているシンガポールですが、あまり歴史は知られていないでしょう。
地政学上、とても大きな要衝であるがゆえに、交易港として発展するとともに、さまざまな国にターゲットにされてきた歴史があるのです。

マレー半島の先端にあるシンガポールは、マラッカ海峡の玄関にあたります。
それだけに、交易港として使い勝手がよく、各国の交易船が出入りし、それを狙った海賊もたくさんいたのです。

このころはシンガポールという名前はなく、ようやく出てくるのは14世紀末にシンガプーラという名称が出てきます。
サンスクリット語でライオンの町という意味で、さまざまな説があり、どれもこれだという決め手がありません。
一般的には、スマトラより訪れた、サン・ニラ・ウタマが建設し名づけたと考えられています。

ポルトガル植民地時代とオランダとの共闘

アユタヤ朝との対立などを経て、1402年にマラッカ王国が成立していましたが、1511年にポルトガルが侵攻してくるのです。
列強海洋国による植民地支配の到来であり、多くの王族はシンガプーラに逃げ込みますが、1513年に侵略され、街まで破壊されてしまいます。
これが、長きにわたるシンガポールの暗黒の時代で、300年もの間荒廃したままになってしまうのです。

生き残った王族たちは、オランダの手を借りジョホール王国を建国します。
1641年には、オランダと共闘という形でポルトガル領マラッカを攻略、オランダ領マラッカとなり、ポルトガルの支配時代が終わりを告げることとなるのです。

イギリス植民地時代

シンガプーラが歴史の表舞台に戻ってくるのは、1819年のことで、漁村となってしまっていたこの土地に、イギリスの東インド会社が上陸します。
ここで、地政学上とても重要なことに築き、商館建設を進めるのです。

その結果、名前も英語的なシンガポールとなり、都市化計画が始まっていきます。
1824年には、ジョホール王国との交渉により、植民地として割譲されることで、イギリスの植民地支配の時代が始まりました。

イギリスにとっては、シンガポールを得たことにより、インドやオーストラリア、中国との貿易を拡大することができ、三角貿易を推し進め、航路拡大を目指すことができたのです。
これが、現在の多民族国家の引き金となりましたが、シンガポールの自治権は認められず、隷属関係のまま、第二次世界大戦に突入していくことになります。

第二次世界大戦から共産主義との対立へ

イギリスは、戦略上の重要拠点として、シンガポールを要塞化していました。
1941年第二次世界大戦が始まると、1942年2月7日に大攻勢をうけ、わずか一週間後の2月15日に無条件降伏することになるのです。

第二次世界大戦の日本の敗戦後、撤退していったもののイギリスが戻ってきます。
結果的に独立は許されず、また植民地支配へと戻っていくのです。

しかし、一度外された支配をまた復活させることはうまくいかず、1957年に独立運動からマラヤ連邦が独立します。
さらに、シンガポールが自治領となり、1963年にはマラヤ連邦とボルネオ島の一部と共にマレーシア連邦が出来上がるのです。

ですが、マレー人と共産主義者が対立。
さらに悪化をたどり、融和は不可能ということで、マレーシア連邦から追放という形でシンガポールは独立を果たすのです。