フィリピンの歴史

フィリピンの歴史

古くから続く稲作文化のフィリピン

東南アジアの国の中でも、日本と非常に距離が近くなってきているのがフィリピンでしょう。
島国であるフィリピンは、太古の時代には陸続きでした。
そのため、かなり古くから人が住んでいた痕跡が残っています。

大陸から切り離されると、マレー人がすむようになりました。
だいたい紀元前2000年あたりから稲作文化を持ち込み、定住したのではないかと考えられているのです。

イスラム教の時代

14世紀に入り、海上貿易が盛んになってくると、イスラム系の商人が盛んに訪れるようになります。
東南アジアの国々ではよくあるように、イスラム教が広まっていくのです。
これ以前にも小さな文明があったと考えられていますが、伝承が多く正確な資料が少ないために、はっきりしたことがわかっていません。

島々ごとに王国ができるようになり、ミンダナオ島西部のスールー王国、マギンダナオ王国といったイスラム系の国々です。
ですが、こうした権力に支配されない小さな集団も数多く、独自の交易を行っていたこともわかっています。

植民地時代から第二次世界大戦

16世紀に入り、フィリピンの歴史は大きな転機を迎えてしまうのです。
それが、スペイン人であるマゼランです。
圧倒的な武力を持ち、さまざまな部族を平定し、キリスト教の改宗を行い、植民地化を進めました。

ところが、部族長であったラプ=ラプだけはこれを拒絶。
マゼランのスペイン具と正面から衝突することになるのです。
ところが、マゼランはここで敗れ、なくなってしまいました。

それでもスペインは、1529年にはサラゴサ条約を持って、周辺の国を植民地化していたポルトガルに強引に認めさせてしまうのです。
1543年にサマール島とレイテ島にスペイン船団が到着します。
この時点で、のちのスペイン王であるフェリペ皇太子にちなみ、フィリピンという名前に代わりました。

こうした植民地政策の中には、カトリックの布教活動ということも重要視されていたのです。
ですが、大きな目的ではあったものの、17世紀前半には政策自体が現地に合わず廃止されていくのです。

オランダや華人の反乱など、スペインとの対立も強くなっていき、イギリスの東インド会社によってマニラが占領されてしまいます。
結果的にイギリスは撤退していきますが、どんどんとスペインの力が弱くなっていったことを表しているでしょう。

そんなフィリピンをバックアップし、革命を起こさせようともくろんだのがアメリカでした。
ところが、結果的にアメリカとスペインの間では譲渡の約束が取り交わされ、2千ドルという破格で売られてしまうのです。
もちろん、アメリカとの戦争になりますが、全くかなわず、1915年にフィリピン諸島全土を支配下に置いてしまいました。

実は1946年までには独立が約束されてもいたのです。
ですが、第二次世界大戦により、そんな話もご破算になってしまいます。

長かった民主化の道

第二次世界大戦が始まると、1942年には日本軍がマニラを占領し、1943年に傀儡政権であるフィリピン第二共和国が成立てしまうのです。
ですが、そんな状況も1945年に敗戦を迎え、日本軍が撤退すると、1946年に選挙が行われ、フィリピン第三共和国として真の独立を成しました。

その後、1965年にはマルコス大統領が就任することになりますが、失業者対策を進める一方、独裁政権を推し進めてしまうことになるのです。
1983年、民主化推進を旗頭にしていた、ベニグノ・アキノ上院議員が亡命していたアメリカから帰国したとたんに射殺するという事件も起きています。
この出来事が、マルコス政権に大きなダメージを与えたのです。

1986年になり、大統領選挙に故アキノ上院議員の妻コラソン・アキノが出馬しますが、ほぼ勝利をつかんでいたのにもかかわらず、マルコスが圧勝します。
これが、最後の打撃となり、マルコスはハワイに亡命するしかなくなるのです。
結果として、コラソン・アキノが大統領に就任し、フィリピンはやっと民主化の道を走り始めました。