ミャンマーの言語

多民族国家だがビルマ語を話す人が多い

ミャンマーは、多民族から構成されている国家です。
この国の歴史の中で最初に出てくる民族は少数ですが、その後、たくさんの民族がミャンマー後に移住し、現在、大小135種という多民族国家となっているのです。

その中で最大多数派となっているのが、「ビルマ族」です。
このビルマ族が利用しているビルマ語(ミャンマー語)、英語ではMyanmar languageと表記される言葉です。
多民族によって構成されており、エーヤーワディー川流域のビルマ本州、さらにカヤー族やチン族、カイン族、ラカイン族などの少数民族に割り当てられている丘陵地域の7つの州で現在ミャンマーが構成されています。

この中でビルマ語を話す人々が全人口の7割、多民族の各言語を話す人々が3割います。
ビルマ族は母国語、その他少数民族はその少数民族の言葉が母国語、ビルマ語は第2言語という事になります。

少数民族の言語と母国語のビルマ語

ビルマ語を第2母国語として扱ってきた少数民族にも、現代、変化が起きています。
地域的に少数民族が拡大している、さらに人口が多くなっているという事もあり、ビルマ族と少数民族とのかかわり、また少数民族間での世代交代などもあって、生まれた時からビルマ語を使っている、またビルマ語も少数
民族の言語も母国語として扱っている世代も多くなりました。

この先、少数民族の言語が消滅していく危機があるにあるといわれています。
ビルマ語と少数民族の言語を両方話せる人口を咥えると、現在ビルマ語の通用力は人口の9割に達しているともいわれています。

ビルマ語の歴史

ビルマ語の第1期は、11世紀前半から13世紀末、バガン統一王朝時代に始まっています。
インドなどの高度な宗教文化を取り入れ独自の文化を形成していた先住民族モン族の文字からビルマ文字が考案されたといわれています。
モン族の国家タトンで勢いを増していた上座仏教がバガンに導入されたことで、上座仏教の聖典用語となっていたバーリ語により、ビルマの文法、また辞典などに大きく影響したといわれます。

第2期はイギリスとの3度の戦に敗れたことで植民地化し、1948年に独立するまでの長い間、ビルマでは英語が普及し、さらに1942年からの3年間、日本に占領されていた時期には、日本語が通用したという事もあり、この当時、ビルマ語はかなり後退したといわれています。
第2期に至っては、ビルマ語の後退時期といえるのです。

第3期になり、独立を果たしてから文化をビルマ化しようとする働きかけ、政策によってビルマ語が中心となる生活に戻ったのです。
ビルマ語は他民族の影響を受けた時期、さらに他国の影響を受けざるを得なかった時期などを経て、やっと通用力を持ったといえる言語なのです。