ラオスの歴史

ラオスのラーンサーン王国時代

ラオスに暮らす人たちはラオ族はとして歴史に登場したのが14世紀、ラーンサーン王国です。
ラーンサーン王国はラオ語では百万頭の象という意味があります。
1353年、ファーグム王という王がムアンサワーという地域を都として建国しました。
アンコールで養育されたファーグム王はアンコール朝のジャヤバルマン9世の娘と結婚し、運勢を預けられたことで周囲を征服し建国を果たしました。

ファーグム王の子、サームセーンタイ王が1373年から統治し、サームセーンタイ王死後、この王朝は15世紀後半になるまで安定しませんでした。
混沌とした時代の中一時的にベトナムの支配下となりますが、1501年ウィスン王が誕生し、その子、ポーディーサーララート王が即位、さらに孫のセーターティラート王が即位、1560年に都をヴィエンチャンに移転しました。
後にヴィエンチャンの建設者とされるセーターティラート王は、ワットホープラケオ寺、タートルアンを建立します。
ビルマに占領されるなどの歴史を経てスリニャウォンサー王が即位した当時が、ラーンサーン王国最盛期といわれます。

分裂からフランス植民地へ

ラーンサーン王国はルアンババン広告、ヴィエンチャン王国に分裂し、占領、新たな王が即位、といった歴史を繰り返します。
1828年になり、ヴィエンチャン王国が滅亡し、この時ヴィエンチャンは徹底的に破壊されます。
更に1860年代になるとフランス人探検家がラオスにも来るようになり、1887年から1895年、オーギュスト・バヴィというフランスの探検家が積極的にラオスの植民地化を勧めました。
結果、1893年、フランス・シャム条約が締結されます。

フランスの支配下となり現在のラオスの国境が画定し、メコン川東岸をフランスの支配とする「ラオス」が誕生します。
1899年には仏領インドシナ連邦に編入となり、フランス人の指揮のもと、ラオ人が愚民視されながら暮らすという時代が継続しました。

独立へ

1945年、日本軍はルアンババーン王国のシーサワンウォンをラオスの王として独立させます。
その後、再度フランスの再植民地化が始まり、1949年、フランス・ラオス教程によってフランス連合内においてラオス王国が独立しました。
しかしその後ラオスは内戦に入り、1975年になってやっと、現在の国家が形成されたのです。

現在ラオスはASEANに加盟し、幸せな時代を迎えています。
ベトナムやビルマからの侵略を受け、フランスの植民地となり、独立、内戦を繰り返したほか、ベトナム戦争時代には空爆の被害を受けるなど、本当に泥沼にはまったような、そこからどうあがいても抜け出せないような、大変な時代を乗り越えてきました。
ラオスは今、幸せを取り戻し、平穏な生活をやっと送る事が出来るようになったのです。