タイの食文化

世界で最も味のバランスが取れている

日本でも大変人気になってきているのが、東南アジアの中でもタイ料理でしょう。
数多くの店舗を見かけるようになりました。

タイの食文化は、だいぶ知られるようになってきています。
世界で最も味のバランスが取れているとも言われ、辛さと甘さ、酸っぱさといった要素のバランスに優れているのです。
香辛料やハーブを多用し、多彩な味付けになるところは、東南アジアのほかの国には見られません。

ただし、日本人から見ると、かなり辛味が強く、見た目だけでは判断できないこともあります。
タイの子供たちは、小さなころから辛さにならしていくため、日本人が思っている以上に子供たちでも辛い料理が食べられるのです。

ふんだんの野菜と魚介類

食材としては、非常に多くの野菜が使われます。
気温が一定しており、食材に困らない土地柄であるというところが大きく影響しているのです。

主食は米ですが、日本とは違う長粒米が食べられています。
これにスープとおかずというのが一般的なスタイルで、ベトナムとは違い麺は軽食の扱いになっているのです。

肉に関しては、仏教徒であるがゆえに大きな制約がありません。
ですが、豚と鶏肉が中心で、アヒルもよく食べられます。
魚は川魚が中心で、揚げたり焼いたりするだけではなく、スープにもよく用いられるのです。

タイ料理の特色として、川エビやカニ、イカも食材にします。
二枚貝も食べるため、日本人にはなじみ安い部分があるのです。

タイの食文化の象徴ともいえる屋台とフードコート

タイの食文化として、外すことができないのが屋台でしょう。
いろいろな場所に屋台があり、格安で軽食から本格料理まで食べることができます。

衛生的な問題もあり、外国人には屋台はむかない面もあることは確かです。
そこで増えてきたのが、フードコートです。

デパートのような場所には必ずといっていいほど存在し、食券式で購入することができます。
屋台に比べて5~6倍の価格になることもありますが、かなりきれいな環境で食べることができるのです。

タイの観光地

寺院がお勧め

タイという国は、植民地になったことがありません。
そのため、文化形成が途絶えておらず、新旧の歴史が混在した素晴らしい場所が数多く存在しています。
観光としても外すことができず、訪れなければ損をするといわれるほどの場所がたくさんあるのです。

その中でも、やはり歴史に触れるということは、タイという国を知るためにも大切でしょう。
タイらしい場所に行ってみることで、歴史の入り口をくぐることができるはずです。

必ず行っておきたいところとしては、仏教に関する場所でしょう。
本当に様々なところにありますが、ワット・プラケオは、タイ人であっても一度は訪れたいと思っている場所です。

王族も重要なイベントがあるときには訪れる寺院であり、最高の格式を誇る場所になっています。
タイの仏教芸術という面でも、欠かすことができない場所といえるでしょう。

美しさという点では、ワット・アルンです。
仏塔の美しさは、タイの寺院の中でも格別で、三島由紀夫の小説の舞台としても書かれています。
小舟で移動することになりますので、タイらしさを味わうこともできます。

タイでの買い物をするのであれば文化と共に

日本ではほぼ味わうことができないのが、タリンチャン水上マーケットです。
かなり新鮮に感じるはずですが、タイは多くの皮があり水上で生活している人もいます。

船に乗ったまま買い物をすることもできるのです。
中心部から距離もさほどはなれていないところも、観光のポイントになるでしょう。

もっとおしゃれに行きたいのであれば、サイアムスクエアがいいでしょう。
タイ人にも人気のスポットで、若者たちがあふれていたりするのです。
またタイらしい買い物もできる場所になっています。

タイの違った側面を

とにかく観光気分を味わいたいというのであれば、カオサンロードが良いでしょう。
言葉の壁もあまり感じることなく、食べて飲んで笑うことができます。
英語が通じるところが多く、バックパッカーの聖地とまで言われたことがあるのです。

タイの文化に大きな影響を与えたアユタヤ王朝の離宮が、バンパイン宮殿です。
現在でも王族の別荘として使われ、迎賓館としても機能しています。
アユタヤ王朝26代プラサート・トン王が築いたものであり、ほかの宮殿とは違った格式をのぞくことができるでしょう。

タイ人の人柄

微笑みの国の気質

タイは微笑みの国といわれます。
あまり争い事も好まず、のんびりした環境の中にあるため、こうした表現をされることがあるでしょう。

一度も植民地になったことがないということが大きな背景にありますが、その分愛国心が強く、王室に対して敬愛心が驚くほど強いのです。
王室関連のイベントなどでは、一般市民が総出で集まるといえるほどの数になります。

宗教的にも、信仰心が篤い国であるといえるでしょう。
仏教の教えをかたくなに守り、お互いを援助することをよしとしてきました。
農作物がよく取れる環境であり、お互いに合わそうことなく支えることができたため、仏教の教えがマッチしたともいえるのです。

そのため、徳を積めば来世も幸せになれると信じられており、熱心な仏教徒がたくさんいます。
教えの一つに、怒りという感情を表に出すことは、とても恥ずかしいことであるとされているため、微笑み続け優しく接してくれるのです。

徳を積むことをタンブンと呼びますが、そのために寄付を欠かしません。
とにかくさまざまな寄付をしてしまいますが、お金がなくても給料をタンブンしてしまうこともよくあるのです。
そして、拡大解釈をすることがおおく、タンブンさえしていれば多少の悪いことは許されると考えてしまいます。

この拡大解釈からも、短気な人も多かったりします。
微笑みを絶やさないようにしなければいけないと思っていても、タンブンすれば大丈夫と思ってしまうことがあるのです。
微笑みの国ではありますが、クーデターの多い国でもあることを忘れてはいけないでしょう。

働き者のタイの女性

多くの寄付をしてしまうお国柄でもありますので、基本的には計画性というものは希薄です。
持っているお金はすぐに使ってしまいますし、思い付きで何かを始めます。
ギャンブルも大好きで、すぐにお金をつぎ込んでしまうのです。

ですが、タイの女性は大変働き者で、必死にお金を稼いできます。
女性の進出が盛んであり、その分男性は働かずのんびりしている人が多かったりもするのです。
ですが、お金を使ってしまうようなギャンブルをする人も、圧倒的に女性が多かったりもします。

すべての人は平等ではない

タイは王政であり、すべての人が平等ではありません。
階級といわれるほどは強くは出ませんが、上下関係はきっちりとしています。
横に広がる社会体系を持っており、上下には付き合いは広がりにくく、友達同士など横のつながりは非常に強いものがあるのです。

大事なことですが、好奇心が強く清潔な環境を好み、何よりも楽しいことが大好きな国民性を持っています。
楽しいことを犠牲にしてまで仕事はせず、仕事の中に楽しいことを探して働きます。
会社になど忠誠はむきませんので、転職は当たり前で、楽しいことを邪魔されればすぐにでも休みますし、辞めてもしまうのです。
日本人とはかなり違う部分もありますが、心から付き合うことができる国民性であることは間違いありません。

タイの言語

タイの言語

独特の言語体系を持つ

東南アジアの国々の言語体系を見ると、植民地時代の影響が色濃く出てきます。
第二次世界大戦時まで大きな影響を残しますが、自国の言葉だけではなく、
英語やフランス語が言語体系に対して大きな影を残していることもあるのです。
しかし、タイは一度も植民になることなく、王朝が続いてきた国であり、
独自のタイ語を公用語としています。

ただし、現在のタイ語は中央タイ語であり、バンコク地方の言葉に
なっていることに注意しなければいけません。多くの人々が
入ってきていることで、タイ語といっても多くの方言も存在するだけではなく、
ラオス語のように似たような系統であるものの別の言葉も存在するのです。

多民族国家としての歴史をたどってこなかったことで、言語の融和が
図られなかったことは、タイの言語体系に大きな影響があります。
タイ語を母国語としなかった場合には、共通する言語が存在せず、
意思の疎通をとることができない場合もあるのです。
特に少数民族の使う言語は、全く通じないこともあります。

独立語であるということ

タイ語の特徴としては、独立語であるということがあるでしょう。
基礎知識として、下記のようなサイトを見ておくと、
独立語の意味が見えてきます。
>>http://www.fairgroundtheband.com/

独立語とは、接辞のような形態論がなく、1つの言葉が1つのことに
対応していると考えることができます。つまり、時制や格・数といったことで、
活用が変わらないのです。語順によって意味は変えられるものの変形しない
言語体系なのであり、主にアジア諸国でしか、こうした言語体系は存在しません。
ちょっとしたタイ語の基礎を見てみるだけでも、大体見えてくるでしょう。

サンスクリットに対応させるためのタイ文字

タイ語にはとても重要になってくるのは、タイ文字です。
シャム文字とも呼ばれますが、表音文字の一つとして考えることができます。
クメール文字が基本となっており、インド系文学の一つです。

上座部仏教を信仰している国でもあり、サンスクリットに対応できるように
開発されてきた歴史があります。そのため、文字としての体系は異なるものの、
スリランカやミャンマーとも源流を同じくする部分があるのです。

習うのは難しいのか

独立語である場合、大きな問題になってくるのが発音でしょう。
声調は5つありますが、問題になるのがタイ文字にはこの声調が
表記できないということなのです。

声調記号は存在するものの、かなり難解で複雑な形になっており、
正解も定義されていません。そのため、ほんの少しの違いでも、ベトナム語のように
意味が変わってしまい、通じないことがあるのです。

ですが、難解かといえば、そこまでではありません。
文法は単純な形になりやすく、語彙も多いとは言えません。
その代わりに、熟語が多くなることから、一つの言葉を覚えると、
複数の言葉の入り口にもなってくるのです。

ちなみに、同じアジア圏である日本国内でも、タイ語を学べる学校がありますが、
アジアを離れたアメリカ圏にもタイ語を専攻できる大学は少なくありません。
そのため、アメリカに留学するという形で、タイの言語や
歴史を学ぶ人も多く存在します。

【参考】
アメリカ留学(正規留学・短期留学・MBA取得)なら、NCN米国大学機構

タイの歴史

タイの歴史

一度も植民地になっていない

東南アジアの歴史をひも解くときに、植民地政策ということがキーポイントになってきます。
しかし、一度も植民地になることもなく、独自の文化を発展させてきたのがタイ王国なのです。

世界最古の農耕民族の末裔であると考えられ、13世紀ごろからさまざまな王朝が栄えてきました。
それ以前にわかっていることは、大乗仏教を中心として、城塞都市を築き、高度な文化圏として存在していたのではないかということです。
13世紀初めにタイ全土を支配していたのは仏教徒であったクメール人が作ったクメールであり、のちのタイ王国の文化や宗教などの形成に大きな影響を与えました。

タイ人による王国建立

この時代のどんな王朝にも言えることですが、栄枯衰退を繰り返していきます。
クメールも徐々に衰退し、13世紀から14世紀には小国を徐々にまとめスコータイ王国が成立するのです。
タイ民族としては初めてできた王朝であり、クメールの衰退に合わせ勢力が拡大していきます。

タイ文字を発展させ、大乗仏教から上座部仏教を国教としていくだけではなく、自由貿易を推し進め大きな基盤となっていったのです。
最大期には、ラオスやシンガポール周辺まで広がります。

並行してできてきたのが、ランナータイ王国です。
メンライ王によって建国された王国で、現在のチェンマイに都があり、勢力を広げましたが、1558年にビルマの属国となり消滅しました。

アユタヤ王朝と戦いの歴史

東南アジアの国々の中で、大きな影響を与えることになったアユタヤ王朝も1351年に成立しています。
始祖であるウー・トン候以降、34人の王が統治する一大王朝で、400年あまりの長きにわたり栄えました。
ですが、その歴史は安泰というわけではなく、周辺国との戦いの歴史でもあったのです。

特にビルマとの戦いは長きにわたり、16世紀中期には属領となります。
17世紀に入ったころに取り戻しますが、1765年の侵攻で陥落し滅亡するのです。
多くの仏教に関する仏典や寺院なども、この時に破壊されてしまっています。

現在の立憲君主制のタイ王国へ

アユタヤ王朝の滅亡と共に建国されていくのが、トンブリー王朝です。
アユタヤの将軍であるプラヤー・タクシンが王となり、バンコクの対岸に建国します。

タイ人の王朝を復活させることに成功しますが、王が精神的に異常をきたし、自国の将軍によるクーデターで国が亡ぶことになるのです。
そのため、わずか15年の短き王朝で終わります。
この時の将軍が、チャオ・プラヤー・チャクリーであり、次にできるチャクリー王朝の始祖にあたるのです。

チャクリー王朝は、現在の立憲君主国であるタイ王国の源流にあたります。
首都をバンコク都市、ラーマ1世と名乗り統治を始めました。
ビルマの侵攻による被害の回復をめざしつつ、自国の文化形成を進めていくことになるのです。

イギリスとの貿易も進めますが、自由貿易を原則としたため、各国との外交関係が広まっていきます。
そのせいもあり、植民地政策のターゲットとはなりませんでした。

画期的だったのが、5世による奴隷制度の廃止、司法制度の改革、教育制度制定など、近代国家の基礎となることをどんどんと取り入れていったのです。
これにより、絶対君主制度を確固たるものにすることができたといえるでしょう。

ところが、1932年に絶対君主制度への不満をあらわにし、のちに立憲革命と呼ばれるクーデターを起こします。
民主制度というものを肌でしったパリ在住の学生グループが引き起こしたものでしたが、第一次世界大戦後の世界恐慌により、タイも経済に深刻なダメージを受けていたのです。
こうした背景によりクーデターは成功してしまい、当時のラーマ7世は国外へ亡命することになります。

すぐにラーマ8世が即位しますが、事故によって急逝し、弟であるプミポン・アドゥンヤデート殿下が現在の王である9世として即位するのです。
当時はシャム国でしたが、立憲君主制に移行することに伴いタイ王国と呼称を改めることになり現在に至ります。
その後も、タイ通貨の暴落など経済面で何度も危機があり、クーデターも繰り返されてきてはいますが、さまざまな知恵を集め、乗り切ってきているのです。