マレーシアの言語

他民族国家である

マレーシアは多民族国家であり、さまざまな国の人が共存して社会を形成しています。
ですが、2007年より、正式にマレー語ということで、マレーシア語が国語として定められたのです。
いまだに議論は続けられてはいますが、憲法にも明記されています。

ほかにも英語も準公用語して指定されるようになりました。
英語自体は、公用語として使い続けられてきました歴史があります。
アメリカの植民地となっていたためではありますが、マレー語が制定されてからは、準公用語になったのです。

それでも、各地に広がる人たちをつないでいるのは、マレー語ではなく英語であることは重要でしょう。
共通言語として、今もこれからも、英語なしではマレーシア社会を形成していくことはできないのです。

中国語とタミル語

マレー語や英語とは別に、中国語の中でも普通話も使われてきています。
中国語の中でも共通に認識することができる点が重要でしょう。
漢字に関しては、繁体字も簡体字も使われていますが、教育の現場では簡体字が中心です。

もう一つ、重要となっているのは、タミル語でしょう。
少数ではありますが、準公用語として指定されている言葉です。

南インドタミル地方の言語であるタミル語は、マレーシアの中でもインド系の人たちで使われています。
日本ではあまり知られてはいませんが、世界レベルで見ると18番目に多い話者人口を持つ元でもあるのです。
インドで使われている言語の一つではありますが、ほかの言語地域とはあまり意思疎通ができません。

多民族国家であるマレーシアの場合、少数言語も多数存在します。
東マレーシアでは先住民の持っていた言語である、イバン語を話す人たちがいますし、マレー半島東海岸ではアスル語と呼ばれる言語も使われているのです。

今でも混在する表記の問題とマルチリンガル

マレー語の場合、固有の文字が存在しませんでした。
実際にマレーシアに行ってみると、かなりの確率でアラビア文字のようなものを見かけるのは、このためで、改良したジャウィ文字が使われているからです。
ですが、現在はローマ字表記の普及が進められており、だんだんと見かけなくなってきています。

こうした背景からも、マルチリンガルが非常に多い国です。
英語を主としていることが多く、それに対して公用語であるマレー語や中国語を話せる人はたくさんいます。
世界でも有数の地域であり、多くの言語が飛び交う様は、マレーシア特有であるといえるでしょう。

中国語教育が進められてきていることもあり、中国系の人でなくても、かなりの確率で通じるようになってきているのです。
ただし、会話として進められているため、筆記ということでは漢字はほぼ書けません。
これも、マルチリンガルの特徴であるともいえるでしょう。

マレーシアの宗教

歴史的な背景も見える

東南アジアの国々には、独特の宗教形態を持つ地域があります。
さまざまな国が植民地として狙ってきたことで、もともとあった宗教に対しキリスト教が進行してきたと見ることもできるでしょう。
事実、植民地政策とキリスト教の布教活動という側面も持っており、宗教の力が兄弟であったことがわかります。

マレーシアの場合には、イスラム教が国教となっているところがほかの国との違いでしょう。
多くの国でイスラム教が広まっていましたが、キリスト教の侵攻により驚くほど広い地域で信仰されています。

マレーシアの多宗教の共生は、歴史的な背景もあります。
本来、マレー系の人々は、イスラム教が信仰されているのですが、歴史の中で非マレー系の人々との抗争があったのです。

しかし、一般的な考え方からすれば、宗教的不寛容が起き、排除する方向になるものでしょう。
実際に多くの国でキリスト教の侵攻と共に、もともとのイスラム教が圧迫されていきました。

ですが、多民族国家として整理してきたマレーシアでは、不寛容としていくのではなく、受け入れて吸収していったのです。
そのため、マレーシアでは現在のような他宗教社会が出来上がっていきました。
基礎データとしては、外務省のデータがいいでしょう。
>>http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/data.html

イスラム教で気を付けなければいけないルール

基本的にイスラム教徒のマレーシアでは、さまざまなルールが存在することを忘れてはいけません。
原理主義的に、どんな人にも適応させようとはさせないのがマレーシアではありますが、郷にいては郷に従えという言葉がある通り、尊重する意識は忘れてはいけないでしょう。

イスラム教の国でもあるわけですから、意識して右手を使うようにします。
左手は不浄のもので、食事では絶対に使ってはいけないのです。

左利きであったとしても関係はありません。
そういった理屈は、宗教の前では何ら意味を持たないからです。

女性に対して気軽に触れてしまうことも、大いにマナー違反となります。
ですが、そこまで厳格な部分を持たないこともあるため、握手を求められたら返すことを忘れてはいけません。
あくまでも、男性側から女性を気軽に触ってはいけないのです。

ドレスコードの部分でも宗教色が出ます。
それが、女性の肌の露出です。

イスラム教寺院を訪れる際などには、ミニスカートなどはあり得ません。
暑いから取ってタンクトップも許されるものではないのです。
ファッションだからといって、絶対に許されませんので、入り口で話をして動物性の革製品は預け、スカーフを借りましょう。

マレーシアの歴史

要衝として価値が高い

東南アジアというと、日本と近い距離にありながら、歴史的背景を色濃く残していたりすることがあります。
マレーシアもそんな国の一つで、第二次世界大戦では、日本が占領していたこともありました。

そんなマレーシアですが、国として成立したのは、西暦1400年ごろにさかのぼります。
スマトラ島を中心としていた王族であるマラッカ王国が建国されたことが、マレーシアの起源になると考えることができるのです。
現在でも変わりませんが、地政学上、大変重要な拠点であり、貿易港としてマラッカは知られていくことになります。

こうした利点を当時の海洋列強国が見逃すはずはありません。
ポルトガルは軍艦を派遣し、マラッカを攻略。
1511年に攻略され、長い植民地時代を迎えていくことになるのです。

もちろん、その間にも様々な国が利権をめざし、変わっていきます。
オランダ植民地になりましたし、イギリスの植民地にも変わりました。
日本も第二次世界大戦時には占領していたのです。

ほかの東南アジアの国々同様、戦後独立をめざし、1963年にはイギリスから譲渡される形でマレーシア連邦として独立します。
その後、シンガポールが分離独立。
現在のマレーシアの形が1965年に出来上がることとなったのです。

日本の占領と新たな時代の戦争の幕開け

マレーシアが独立するまでには、非常に長い時間がかかっています。
どんな国も、ここまで条件のいい貿易港は狙いますし、手放したくありませんでした。
資源としても有効であり、日本も死守したい地域であったことは間違いありません。

第二次世界大戦当時、マレーシア一帯はイギリスの植民地でした。
イギリスは、アメリカと共同し、日本の支配権拡大を阻止するためトラの子である戦艦まで送り阻止しようと考えたのです。
ですが、航空優勢の時代の幕を開けるように日本の航空機に蹂躙されてしまいました。

軍艦では、航空機には勝てない。
そんな時代の節目にマレーシアは登場してくるのです。

マレーシアの近代化と共産主義の対立

近代のマレーシアを見ると、インドネシアとの対立や共産主義者の反乱があります。
インドネシアとの対立は1962年から1966年まで続きますが、この背景にはインドネシアとイギリスの関係がありました。
この独立は、事実上の植民地主義であると、インドネシアが対立していくのです。

インドネシアは、ボルネオ島全域の領有を主張することで、マレーシアに進行していきました。
一触即発の関係が続き、フィリピンも含めて東京で会談することでいったん決着を見るのです。
ですが、この対立がアメリカやIMFの不興を借り、インドネシアは経済援助を打ち切られた結果、経済が悪化し中国へと助けを求めていくようになりました。

そんな中で、共産主義者の反乱も起きます。
イギリス主導の独立に対して、中国の教育を受けた人たちによる共産主義とリーダーを中国にすることを訴え暴動に進展していったのです。
この緊急事態は、1968年から1989年までと非常に長い期間マレーシアを苦しめました。

現在のマレーシアは、非常に治安のいい地域として知られています。
1988年以降は、経済成長率は高レベルを維持していますし、東南アジアの中でも先進性の高い国となったのです。

何度も窮地があり、経済的にも危機を迎えることもありました。
ですが、自国で算出できるオイル資源があったため、そのたびに切り抜けてきたことで、とても強力な国に成長していくことができたのです。