ラオスの食文化

ラオスにはどんな食べ物がある?

ラオスは侵略、植民地支配、さらに内戦と苦しい時代を潜り抜けてやっと今、幸せな時間を取り戻し、成長し始めています。
ラオスに旅行に行くという日本人も多くなっている中、ラオスにはどのような食文化があるのだろうと気になる方も多いでしょう。

ラオスというと、やはり東南アジア系の辛い食べ物が多いのか?何が入っているのかわからないような料理が多いのか?と不安に思う方も少なくありませんが、ラオスにはどのような料理があるのでしょうか。

多民族国家だから料理も多様

ラオスはその歴史を見ればわかるように、多民族が共に暮らしているという国です。
そのため、各家庭の料理を見ても民族間の違いが見えるという事もあります。
しかしラオスのほとんどの人が、カオニャオと呼ばれるもち米を主食に、毎日の食事を楽しんでいます。

タイ料理は非常に辛いものばかりのイメージを持たれることが多いですが、実はメニューによって辛くないものもたくさんあり、タイに暮らす人たちは特に辛いものを毎日食べているという事もありません。
同じように、ラオスの食べ物もそれほど辛い!というものはなく、どちらかというと、塩気の強い食品や発酵食品類を多く摂取しているといわれます。
また植民地となっていたことで、他国の食文化が少々入っているというのも、特徴です。

屋台を見ると見えてくるラオス料理

ラオスは朝食を自宅で頂くより、屋台で頂くというのがほとんどです。
朝はおかゆや麺類をいただき、夕方はお惣菜、スイーツなどが屋台で並びます。
朝食は麺類が多いです。

具、スープ有、なし、これらを好みで選択します。
テーブルにはトウガラシや魚醤、さらに砂糖やチリソースなどが置かれてて、これで好みの味にします。
揚げパンやライムなどがついてくるのも一般的で、揚げパンをスープにつけていただきます。
また中国の食の面でも中国の影響を受けているラオスでは、黒酢が置かれていることも少なくありません。

また鶏肉と豚骨でしっかりと時間をかけてだしをとったおかゆもとてもおいしく、庶民的な朝食です。
ナンプラーやトウガラシなどを入れていただいてもおいしいです。
中国でも朝食におかゆを頂くことが多いですが、ラオスもこの影響を受けているのでしょう。

ビア・ラオとものすごく甘いコーヒー

ラオスにはビア・ラオと呼ばれるラオスビール、またとてつもなく濃い時もあり、ものすごく甘い事もあるコーヒーを飲むというのも定番です。
ラオスに旅行に行って歩き疲れたら、このとんでもなく甘いコーヒーを飲んだり、ちょっとビールを飲んだりして、ラオスの町を楽しみましょう。

静かな街並みの多いラオスは、心静かにのんびりしたい時、オススメの旅行先です。

ラオスの言語

ラオスの言葉、「ラオ語」とは

ラオスの言葉は、タイ・カダイ語族に属しています。
この言葉は、漢語と世に似ています。

タイ北東部ではイサーン語が話されていますが、この言葉は西ラオ語と呼ばれ、ラオス国内で主に利用されているラオス語と非常によく似ています。
西ラオ語は、ラオス語の一部だという方もいるくらいです。
またタイ北部ではタイ語(チェンマイ方言)についてもラオ語の一種とされる見方があり、これはユアン語といわれます。

ラオスの首都、ビエンチャンに行くとイサーン語が通じます。
通常、標準語はビエンチャン語といわれているのですが、実はこの標準語はラオス全土に普及しているという事はないのです。

ラオス語の方言

ラオス国内に住む人でも、暮らす地域によって方言があり、この方言によって話が全く通じないという事もあります。
確かに日本の中でも、東北、沖縄地方の言葉はわからないという事も多いです。
沖縄の生粋の方言で話をされると、全く意味が分からない、一語も理解できないという事があります。
また山形の方言も、地域によってまた年代によって全く分からないという事があります。

ラオスの場合、ラオス人同士で方言のある言葉と標準語を離している場合、お互いに理解できますが、ラオス語を理解している外国人が方言のあるラオス語を聞くと、全く理解できないという事があるのです。
標準語となっているビエンチャン方言で話をする人は少ないので、ラオス語を学ぶ人にとっては、ひどく厄介な事と感じます。
ビエンチャン方言のほかにも、ルアンアバーン方言があるので、聞き取りにくいと感じたり、ラオス人同士でも、わかりにくいと感じることがあります。

わかりにくい方言なのになぜラオス人にはわかるのか

稀に、ラオス人同士でも言葉が通じにくいという事がありますが、外国人が聞いていて、違う言葉?と感じる位の方言なのに、なぜかラオス人は方言を理解し、通じ合えます。
なぜなのかというと、ラオスの方言には、一定の変化の法則があるのです。
この法則を、多くのラオス人が理解しているので、意思の疎通に困るという事がないのです。

ラオス語を理解できる外国人にとって、ラオス語の方言が聞き取る事すら難しいと感じるのは、この一定の変化の法則を理解していないからで、現地の方にとっては言葉の変化を聞き取るだけなので、それほど困る事はないのです。
ラオスの標準語とされているのがビエンチャン語、だから外国人はビエンチャン語をラオス語として習う、標準語を利用して丁寧に話しているのに伝わらないという事が多いのは、ラオスに暮らすほとんどの方が標準語とされているラオス語をほとんど使わないからといわれます。

ラオスの歴史

ラオスのラーンサーン王国時代

ラオスに暮らす人たちはラオ族はとして歴史に登場したのが14世紀、ラーンサーン王国です。
ラーンサーン王国はラオ語では百万頭の象という意味があります。
1353年、ファーグム王という王がムアンサワーという地域を都として建国しました。
アンコールで養育されたファーグム王はアンコール朝のジャヤバルマン9世の娘と結婚し、運勢を預けられたことで周囲を征服し建国を果たしました。

ファーグム王の子、サームセーンタイ王が1373年から統治し、サームセーンタイ王死後、この王朝は15世紀後半になるまで安定しませんでした。
混沌とした時代の中一時的にベトナムの支配下となりますが、1501年ウィスン王が誕生し、その子、ポーディーサーララート王が即位、さらに孫のセーターティラート王が即位、1560年に都をヴィエンチャンに移転しました。
後にヴィエンチャンの建設者とされるセーターティラート王は、ワットホープラケオ寺、タートルアンを建立します。
ビルマに占領されるなどの歴史を経てスリニャウォンサー王が即位した当時が、ラーンサーン王国最盛期といわれます。

分裂からフランス植民地へ

ラーンサーン王国はルアンババン広告、ヴィエンチャン王国に分裂し、占領、新たな王が即位、といった歴史を繰り返します。
1828年になり、ヴィエンチャン王国が滅亡し、この時ヴィエンチャンは徹底的に破壊されます。
更に1860年代になるとフランス人探検家がラオスにも来るようになり、1887年から1895年、オーギュスト・バヴィというフランスの探検家が積極的にラオスの植民地化を勧めました。
結果、1893年、フランス・シャム条約が締結されます。

フランスの支配下となり現在のラオスの国境が画定し、メコン川東岸をフランスの支配とする「ラオス」が誕生します。
1899年には仏領インドシナ連邦に編入となり、フランス人の指揮のもと、ラオ人が愚民視されながら暮らすという時代が継続しました。

独立へ

1945年、日本軍はルアンババーン王国のシーサワンウォンをラオスの王として独立させます。
その後、再度フランスの再植民地化が始まり、1949年、フランス・ラオス教程によってフランス連合内においてラオス王国が独立しました。
しかしその後ラオスは内戦に入り、1975年になってやっと、現在の国家が形成されたのです。

現在ラオスはASEANに加盟し、幸せな時代を迎えています。
ベトナムやビルマからの侵略を受け、フランスの植民地となり、独立、内戦を繰り返したほか、ベトナム戦争時代には空爆の被害を受けるなど、本当に泥沼にはまったような、そこからどうあがいても抜け出せないような、大変な時代を乗り越えてきました。
ラオスは今、幸せを取り戻し、平穏な生活をやっと送る事が出来るようになったのです。