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ミャンマーの人柄

ミャンマーの人たちは温かい

日本に旅行にきた海外の方々は、日本人は親切、丁寧で礼儀があるといわれます。
日本に暮らしているとそういったこともあまり感じませんが、海外に行くと確かに日本はお店にしても親切だし、サービスがいいです。
日本では当たり前のサービスが海外では全く行われないという事もあり、確かにこういう中で暮らしていると、日本は親切、やさしいといわれるのだろうと感じます。

ミャンマーは今注目されている国です。
未だに入国するまでが厳しく面倒だという事を聞きますし、ビザを取得するのも困難、複雑といわれます。
しかしミャンマーの世界的にも有名な歴史的建造物、観光スポットなどは是非見ておきたいと感じる方が多いでしょうし、映画で見た場所に行ってみたいと思う方も少なくないでしょう。

またミャンマーに行ったことがある方から聞くと、ミャンマーの人たちは温かく人懐こい人が多いと聞きます。
さて、ではミャンマーの方々の人柄についてふれてみましょう。

アジアの国の中でも特に人懐こい人柄

アジアの中には、他人に全く興味がない、というか、お構いなしという人柄が多い国もありますが、ミャンマーの人たちは多くがフレンドリーでやさしく、人懐こいといいます。

また日本語を扱える人が多いのです。
3年くらいの期間ですが、その昔、各国が戦争を繰り返していた時期に、ミャンマーは日本に占領されていたという時代があります。
その時期に日本語を覚えたというミャンマーの方々も多く、片言でも日本人に話しかけてくるといいます。

海外で外国の方から不意に声をかけられると、ちょっと身を固くしてしまいがちです。
ひったくりもありますし、話をしているうちにいきなり携帯などを盗まれてしまうという事もあります。
治安のいい国に暮らす日本人は防衛意識が薄く、海外の窃盗団などから見ると格好の餌食と感じられるのです。
そのため、海外でこうした被害にあったという方も多いので、海外旅行に行って知らない外国人に話しかけられると、ちょっと身構えてしまいます。
しかしミャンマーの方々は全くそういう事もなく、ただ時間をふときいて来たり、安いからよっていってと、日本語で呼び込みをしていたりと、とにかくフレンドリーで人懐こいのです。

人を疑わないというミャンマーの人々

日本人もすぐに人を信頼すると海外の方から言われることがありますが、ミャンマーの人こそ、人を疑わないという心を持っています。
それがわかる情景が一つ、ズボンのポケットに堂々と札束をさし歩く人、こういう姿、諸外国では絶対に見ることがありません。

仏教という教えをしっかり守って暮らしているミャンマーの人たち、悪いことをする人はいないのだという気持ちを持っているのか、また本人たちにそういう気持ちが全くないから、他の人もそうだと思うのか、無邪気な笑顔で話しかけてくれるミャンマーを見ると、海外旅行に行った日本人も、ホッとして笑顔になれるといいます。

タイの観光地

寺院がお勧め

タイという国は、植民地になったことがありません。
そのため、文化形成が途絶えておらず、新旧の歴史が混在した素晴らしい場所が数多く存在しています。
観光としても外すことができず、訪れなければ損をするといわれるほどの場所がたくさんあるのです。

その中でも、やはり歴史に触れるということは、タイという国を知るためにも大切でしょう。
タイらしい場所に行ってみることで、歴史の入り口をくぐることができるはずです。

必ず行っておきたいところとしては、仏教に関する場所でしょう。
本当に様々なところにありますが、ワット・プラケオは、タイ人であっても一度は訪れたいと思っている場所です。

王族も重要なイベントがあるときには訪れる寺院であり、最高の格式を誇る場所になっています。
タイの仏教芸術という面でも、欠かすことができない場所といえるでしょう。

美しさという点では、ワット・アルンです。
仏塔の美しさは、タイの寺院の中でも格別で、三島由紀夫の小説の舞台としても書かれています。
小舟で移動することになりますので、タイらしさを味わうこともできます。

タイでの買い物をするのであれば文化と共に

日本ではほぼ味わうことができないのが、タリンチャン水上マーケットです。
かなり新鮮に感じるはずですが、タイは多くの皮があり水上で生活している人もいます。

船に乗ったまま買い物をすることもできるのです。
中心部から距離もさほどはなれていないところも、観光のポイントになるでしょう。

もっとおしゃれに行きたいのであれば、サイアムスクエアがいいでしょう。
タイ人にも人気のスポットで、若者たちがあふれていたりするのです。
またタイらしい買い物もできる場所になっています。

タイの違った側面を

とにかく観光気分を味わいたいというのであれば、カオサンロードが良いでしょう。
言葉の壁もあまり感じることなく、食べて飲んで笑うことができます。
英語が通じるところが多く、バックパッカーの聖地とまで言われたことがあるのです。

タイの文化に大きな影響を与えたアユタヤ王朝の離宮が、バンパイン宮殿です。
現在でも王族の別荘として使われ、迎賓館としても機能しています。
アユタヤ王朝26代プラサート・トン王が築いたものであり、ほかの宮殿とは違った格式をのぞくことができるでしょう。

ミャンマーの食文化

辛いというイメージがあるビルマ料理

ミャンマー、ベトナムというと料理が全部辛いと思っている方が多いです。
東南アジアの料理として人気のあるトムヤムクン、日本でもよく食べられているこの料理が辛いスープなので、タイ、ミャンマー、ベトナムなどの東南アジア系統の料理は全部辛い、エスニック料理は辛いというイメージがついてしまったのでしょう。

実はタイ料理にしても、辛い物だけじゃなく、辛い料理が有名になってしまっただけなのです。
ミャンマーに関しても同じような辛い料理が多いのでは?と思ってしまうのも仕方がないと思いますが、ビルマ料理としてどのようなものがあるか、わかっていないから、東南アジアの辛い料理のイメージが先行し、ミャンマーで頂けるビルマ料理も辛いと勝手に印象づけられているのです。

ビルマ料理は他国料理が混ざっている?

ミャンマーで一般的に家庭で食べられている料理には、インド料理も中国料理もあります。
ビルマ風にアレンジされていますが、基本、インドや中国の料理となっているため、少し違うけれどインド料理、中国料理なのです。

歴史的にインドや中国の影響を受けているという事もあり、ビルマ料理はインド料理や中国料理が混ざり独自の発展を遂げたものと考える方がいいようです。
例えばカレー風の煮込み、麺類、揚げ物、サラダ風の和え物、スープ、こういったメニューがビルマ料理として一般的に食べられているものです。

代表的な「ヒン」カレー風煮込み

代表的なビルマ料理、「ヒン」はおかずという意味です。
カレー風煮込みといわれますが、カレーといってもインドのように辛いという事はなく、私たちが考えるカレーとはまた違うイメージです。

この料理のベースは玉ねぎ、味付け、香りつけは塩、魚醤、ターメリック、唐辛子、にんにく、しょうがなどです。
豚肉、鶏肉、牛、羊などの肉、さらに内臓、エビ、魚、卵、や足などを利用し、水と食用油を利用し煮込みます。

ビルマ料理の決め手となるのが、この油です。
油を混ぜることで肉類などの脂肪分を取り込み、具材の風味を強め、おいしさを閉じ込めるというイメージです。

ヒンの煮込み方法

ヒンで煮込み料理を作る際、水分を残した煮込み、また水分がなくなるまで煮込む煮込み、があります。
水分を残したにミャンマーはスィーレーイェーレーといい、水分がなくなるまで煮込む方法をスィービャンといいます。
これによってヒンを区別できます。

ミャンマーでは一般的にスィービャンが人気でビルマ料理を食べに行くと、ほとんどのヒンがスィービャンです。
ビルマ料理を食べに行ってヒンに迷う時、スープ的なイメージが欲しい場合、スィーレーイェーレーを、しっかり煮込まれ水分が少なくなった料理が欲しいという場合、スィービャンを頼むといいでしょう。

タイ人の人柄

微笑みの国の気質

タイは微笑みの国といわれます。
あまり争い事も好まず、のんびりした環境の中にあるため、こうした表現をされることがあるでしょう。

一度も植民地になったことがないということが大きな背景にありますが、その分愛国心が強く、王室に対して敬愛心が驚くほど強いのです。
王室関連のイベントなどでは、一般市民が総出で集まるといえるほどの数になります。

宗教的にも、信仰心が篤い国であるといえるでしょう。
仏教の教えをかたくなに守り、お互いを援助することをよしとしてきました。
農作物がよく取れる環境であり、お互いに合わそうことなく支えることができたため、仏教の教えがマッチしたともいえるのです。

そのため、徳を積めば来世も幸せになれると信じられており、熱心な仏教徒がたくさんいます。
教えの一つに、怒りという感情を表に出すことは、とても恥ずかしいことであるとされているため、微笑み続け優しく接してくれるのです。

徳を積むことをタンブンと呼びますが、そのために寄付を欠かしません。
とにかくさまざまな寄付をしてしまいますが、お金がなくても給料をタンブンしてしまうこともよくあるのです。
そして、拡大解釈をすることがおおく、タンブンさえしていれば多少の悪いことは許されると考えてしまいます。

この拡大解釈からも、短気な人も多かったりします。
微笑みを絶やさないようにしなければいけないと思っていても、タンブンすれば大丈夫と思ってしまうことがあるのです。
微笑みの国ではありますが、クーデターの多い国でもあることを忘れてはいけないでしょう。

働き者のタイの女性

多くの寄付をしてしまうお国柄でもありますので、基本的には計画性というものは希薄です。
持っているお金はすぐに使ってしまいますし、思い付きで何かを始めます。
ギャンブルも大好きで、すぐにお金をつぎ込んでしまうのです。

ですが、タイの女性は大変働き者で、必死にお金を稼いできます。
女性の進出が盛んであり、その分男性は働かずのんびりしている人が多かったりもするのです。
ですが、お金を使ってしまうようなギャンブルをする人も、圧倒的に女性が多かったりもします。

すべての人は平等ではない

タイは王政であり、すべての人が平等ではありません。
階級といわれるほどは強くは出ませんが、上下関係はきっちりとしています。
横に広がる社会体系を持っており、上下には付き合いは広がりにくく、友達同士など横のつながりは非常に強いものがあるのです。

大事なことですが、好奇心が強く清潔な環境を好み、何よりも楽しいことが大好きな国民性を持っています。
楽しいことを犠牲にしてまで仕事はせず、仕事の中に楽しいことを探して働きます。
会社になど忠誠はむきませんので、転職は当たり前で、楽しいことを邪魔されればすぐにでも休みますし、辞めてもしまうのです。
日本人とはかなり違う部分もありますが、心から付き合うことができる国民性であることは間違いありません。

ミャンマーの言語

多民族国家だがビルマ語を話す人が多い

ミャンマーは、多民族から構成されている国家です。
この国の歴史の中で最初に出てくる民族は少数ですが、その後、たくさんの民族がミャンマー後に移住し、現在、大小135種という多民族国家となっているのです。

その中で最大多数派となっているのが、「ビルマ族」です。
このビルマ族が利用しているビルマ語(ミャンマー語)、英語ではMyanmar languageと表記される言葉です。
多民族によって構成されており、エーヤーワディー川流域のビルマ本州、さらにカヤー族やチン族、カイン族、ラカイン族などの少数民族に割り当てられている丘陵地域の7つの州で現在ミャンマーが構成されています。

この中でビルマ語を話す人々が全人口の7割、多民族の各言語を話す人々が3割います。
ビルマ族は母国語、その他少数民族はその少数民族の言葉が母国語、ビルマ語は第2言語という事になります。

少数民族の言語と母国語のビルマ語

ビルマ語を第2母国語として扱ってきた少数民族にも、現代、変化が起きています。
地域的に少数民族が拡大している、さらに人口が多くなっているという事もあり、ビルマ族と少数民族とのかかわり、また少数民族間での世代交代などもあって、生まれた時からビルマ語を使っている、またビルマ語も少数
民族の言語も母国語として扱っている世代も多くなりました。

この先、少数民族の言語が消滅していく危機があるにあるといわれています。
ビルマ語と少数民族の言語を両方話せる人口を咥えると、現在ビルマ語の通用力は人口の9割に達しているともいわれています。

ビルマ語の歴史

ビルマ語の第1期は、11世紀前半から13世紀末、バガン統一王朝時代に始まっています。
インドなどの高度な宗教文化を取り入れ独自の文化を形成していた先住民族モン族の文字からビルマ文字が考案されたといわれています。
モン族の国家タトンで勢いを増していた上座仏教がバガンに導入されたことで、上座仏教の聖典用語となっていたバーリ語により、ビルマの文法、また辞典などに大きく影響したといわれます。

第2期はイギリスとの3度の戦に敗れたことで植民地化し、1948年に独立するまでの長い間、ビルマでは英語が普及し、さらに1942年からの3年間、日本に占領されていた時期には、日本語が通用したという事もあり、この当時、ビルマ語はかなり後退したといわれています。
第2期に至っては、ビルマ語の後退時期といえるのです。

第3期になり、独立を果たしてから文化をビルマ化しようとする働きかけ、政策によってビルマ語が中心となる生活に戻ったのです。
ビルマ語は他民族の影響を受けた時期、さらに他国の影響を受けざるを得なかった時期などを経て、やっと通用力を持ったといえる言語なのです。

シンガポールの食文化

外食が中心

シンガポールは、商業都市です。
食文化にも大きな影響を与えていますが、男女関係なしに毎日仕事に出かけていきます。
そのため、時間をかけて自炊をするのであれば、その分を働き得た対価で外食をするということが一般的な考え方なのです。

そのため、外食文化の発展は著しく、かなりの箇所で食事ができるようになっています。
ホーカーズと呼ばれていますが、香港でも見かけるスタイルであり、安価で食べることができる店舗が集まったフードコートは有名です。
非常に手ごろな値段で食べることができるため、日常から利用していくこともできるようになっています。

多民族国家ならではの食文化

シンガポール料理ということを考えた場合には、中国の影響が強く出てきます。
多民族国家ですので、中華系とは別に、南インド料理やマレー料理もインドネシア料理の一つの分野として考えられているのです。
もう一つ重要なこととして、イスラム教の人たちがいるため、牛のように禁忌される食材があるということも忘れてはいけないでしょう。

その半面で、多民族国家であるために、シンガポールでは世界中の料理が食べられるとも言われます。
いろいろなものを吸収することができるシンガポールですので、こうした多彩な食文化が形成されているといえるでしょう。

最も人口が多いことで目立つ中国料理

シンガポールで代表的な中華料理は、実は一定地域に収まりません。
広東料理から始まり、スープやそばが有名な福建料理では、ホッケン・ミーと呼ばれる料理が知られています。
エビ入りのスープそばで、シンガポール料理としては定番といえるでしょう。
ほかにも、四川料理や上海料理、北京料理もありますが、西洋風の味付けが取り入れられたりしているのが、シンガポールでの特徴です。

よく見かけるインド料理

かなり多く見かけることができるのがインド料理です。
北インド料理と南インド料理がありますが、北インド料理は辛さが抑えてあり、エビやマトンの入ったカレーを食べています。

南インド料理になると、タミル語圏になり、かなり香辛料が効かされた料理が中心です。
肉類はほとんど見かけず、ベジタリアンに合わせた料理が多くみられます。

主となるマレー料理

日本人にはあまりなじみがありませんが、マレー料理も重要でしょう。
米を主としており、ココナッツミルクやにんにくをふんだんに使います。
タイ料理にも見られる方法ですが、サンバルを使うところに違いがあるでしょう。

サンバルとは、トウガラシやにんにくを香辛料やトマトと共に石臼でペーストにしたものです。
その中にトラシと呼ばれるエビの発酵品を入れたりし、油で炒めることで完成です。
酢やライムで香り付けをしたりしますが、地域によって違いがあり、非常に辛さが目立つものや甘いものもあります。
マレーシア同様に、ミーゴレンやナシゴレンは、よく食べられている料理の一つに挙げることができるでしょう。

ミャンマーの宗教

ミャンマーといえば仏教

ミャンマーは人口の90%が仏教徒といわれる仏教の国です。
しかもミャンマーの人口の13%が僧侶という国です。
確かにミャンマーの映像などを見ると、僧侶が街を歩く姿などを多く見かけます。

単に仏教といっても、大乗仏教とは違い、上座部仏教(小乗仏教)で、日本や中国などで侵攻されている仏教とはまた違うものです。
なお、大乗・小乗の「乗」とは乗り物を指し、大乗仏教は乗り物が大きい様を表し、信仰さえあればどんな人間でも救いがあると説くのに対し、小乗仏教は乗り物が小さく、厳しい修行を積んだわずかな人のみが救いを得ることができるという考え方です。

インドからお釈迦様によって説かれた仏教の教えがシルクロードを通り、中国で訳され、その後、伝来していくうちに様々な解釈が加えられ、日本に伝わってきました。
インドでは出家した一部のもののみ救われ、一般の人たちは救われないとされる仏教でしたが、日本に伝わってきたころには、出家せずとも一般庶民であっても救われるという教えになっていました。
そのため、インドは上座部仏教(小乗仏教)、日本や中国などでは大乗仏教が信仰されているのです。

インドはお釈迦様の教えを守り、厳しい教えを忠実に守り、殺生や淫行、飲酒などをはじめとする10の「戒」と227の「律」、つまり戒律を守った人のみ救われるとされます。
ミャンマーではその戒律を正しく守る僧侶は特別な存在であり、尊敬の念をもってみられます。
最もお釈迦様の教えを忠実に守り伝来しているのは、現在、世界各国を見てもミャンマーのみといわれているのです。

実は仏教徒だけではない

仏教徒一色、と思われているミャンマーですが、実はキリスト教もイスラム教も、ヒンドゥー教も、さらにミャンマー独自の「ナッ」という信仰もあります。
ミャンマーはその歴史でもわかるように非常に多くの民族が暮らす国です。
実に130を超える民族がいて、それぞれに信仰を持っています。

その証拠に近年、ミャンマー西部の地域でイスラム教を信仰する少数民族ロヒンギャ族と仏教徒が衝突し、これによって宗教争いがミャンマー全土に広がりを見せています。
しかし、国民の9割という仏教徒が我が宗教のために戦うことについて、政府は鎮圧に消極的です。
政府がもしも本格的に鎮圧に乗り出せば、仏教徒がほとんどのミャンマー国民から、「異教徒を助ける裏切り政府」といわれかねないからです。

歴史、そして現代でも宗教が色濃く関係しているミャンマー

日本は宗教間の争いという事ない国です。
無宗教という人もいますから、ミャンマーのように宗教の事に関して暴動が起こるということが、今現代に起きている真実と受け止めるのが難しいかもしれません。

しかし、古くからミャンマーは仏教の教えを守ってきた国です。
ミャンマーには美しい仏塔「パゴダ」がそこかしこにありますが、これも、信仰心を持ち、国を作り上げてきた現れです。
ミャンマーの人々が、仏教を心の礎として長い歴史を作ってきたことが、遺跡、また現存する建物からもしっかりわかります。

シンガポールの観光地

まず中国系から

シンガポールは、植民地時代の歴史などから、さまざまな国の文化を吸収し成り立ってきました。
観光をする場合にも、こうした背景が大きくかかわってくるでしょう。
実際に回るとしても、シンガポール自体は小さな国土ですので、1日でまわってこられるところも重要です。

一番真っ先に行ってみるべきは、最も人口の多いチャイナタウンでしょう。
シンガポールは、75%を中国系の人が占めています。
食という点でも、大きな影響を受けていますので、チャイナタウンのホーカーズで食事をしてみるといいでしょう。

ホーカーズは、フードコートのことで、おかゆがとても有名です。
朝ご飯としても利用することができるところも、観光向きであるといえます。
イベントがあるときには、普段では考えられないほどの賑わいを見せますので、春節の前などに行ってみるといいでしょう。

東南アジアとは思えないイスラムの世界に

シンガポールには、イスラム教の人たちがたくさんいます。
バスに乗っていくことができるアラブストリートに言ってみると、シンガポールの懐の広さを実感することができるでしょう。
ほんの少しの時間揺られるだけで、中国圏からアラブ圏へ風景が変わっていくからです。

アラブストリートに行ってみると、そこはアラビアンナイトの世界に見えるでしょう。
本当に東南アジアなのだろうかと思うほどの世界が広がっています。

イスラム教の世界ではありますが、そこまで厳格ではありません。
モスクも入ることができますが、女性は歓迎されませんし、あまり肌を露出したりすることのないようにしなければいけません。
歓迎はしてくれても、相手をリスペクトし無礼がないようにしていくことも、大切なことなのです。

インドの香りを感じ

3つ目の観光地としては、リトルインディアでしょう。
シンガポールのもう一つの側面である、インドからの人々が作り上げた場所です。

すぐにわかりますが、香織はカレーに変わり、カラフルな風景はイスラムとはまた異なります。
音楽もインドの音楽となり、ここがいったいどこの国なのかわからなくなってくるでしょう。
これこそが、シンガポールの持つ本質であるといえるのです。

シンガポールを敢行してみるのであれば、人種のるつぼとも言えるシンガポールらしい歩き方になるでしょう。
本質を知ることまではできませんが、さまざまな国の人を受け入れ国が形成されてきたことがわかるはずです。

ミャンマーの歴史

ミャンマーという国はどんな国?

古くからミャンマーの地には人が暮らしていたとされています。
しかし国が形成されていたという事ではなく、ミャンマーの周辺国家の影響を受けながら暮らしていた、というイメージです。

集落が結成されたのは8世紀あたりになってからで、そこにはビュー族と呼ばれる方々が点在していました。
集落がやがて小さな国となり、そしていよいよ国としての歴史が紡がれていきました。
当時を知る手掛かりは、現在ミャンマーのビィ公害にあるフモーザー遺跡で、ここにはサンスクリット語、ビュー語などで書かれた遺跡を見ることができます。

文字ができ、仏教が伝来し集落は城壁で囲まれた強固な物でした。
周囲に水田があり稲作も行われ、しっかりと国としての基礎を作り上げていたのですが、その後、何詔王国の侵略、さらにビルマ族がビュー族の暮らす地に移住するなどしたことで確固たる国となる前に滅亡したのです。

国家の形成とビルマ族

ビュー族が暮らす地域に中国雲南地方から、9世紀あたりに移住してきたビルマ族はその多くが、エーヤワディ川流域に暮らしていました。
元々暮らしていたビュー族などを次々と征服し、ビルマ族によるバガン王朝が誕生します。
このバガン王朝がミャンマーの最初の王朝です。
現在も、このバガン王朝の遺跡は、ミャンマー最大の遺跡として当時の繁栄を見ることができます。

その後、勢力を拡大していく中でミャンマー南部に暮らすモン族と争い、また接触したことがミャンマーの文化に大きな影響を与え、その全土に仏教、文字といった文化が広がります。
バガン王朝はその後、300年もの間繁栄を極めたのです。
しかし、次々に建設された寺院の建設などにより国家の経済は次第にもろいものとなり、国家そのものも疲弊し、中国の「元」という巨大国家の勢力、さらに多民族の巨大化などを受け、度重なる元からの侵略にあい、1287年、とうとう隷属(つき従う)する事となり、最終的に1299年、バガン王朝はシャン族という民族に滅亡にまで追い込まれてしまいました。

タウングー王朝とシャン族

国家としての形を失ったミャンマーは、その後シャン族を主軸として各地の勢力争いが続き、そのたびに小国家が入れ替わっていました。
どこかの民族が一時的に国家を設けるという状態が継続し、サガイン、またインワなどの名称はその王朝の名残であると伝えられています。

16世紀に入ると再び勢力を強めたビルマ族がタウングーに城壁など築き、再国家統一を果たします。
この当時のビルマ族の勢いはミャンマー国内にとどまることなく、タイのチェンマイ、さらにアユタヤ王朝を滅ぼすなど勢力を広げ、東南アジア一帯を領土とする一大王朝を築き上げたのです。

しかしこの統一はかなり無理があり、領土を広げたために間接統治性を余儀なくされ、その地では当然反乱がおこる事態となり、非常に混沌とした時代が継続します。
後にインワは再統一を果たしますが、結局1752年、ふたたびモン族などのほか民族に滅ばされてしまいます。
最終的に地方国家を形成したのはモン族でした。

最後のビルマ王朝から紆余曲折しつつ現代へ

モン族に滅ぼされたビルマ族は、再度攻勢を激化しアラウンバヤーの活躍などもあり、バゴーのモン族国家を滅亡させ、統一国家を形成します。
アユタヤ王朝を滅ぼします。
現在見ることができるアユタヤは、ビルマ族に滅ぼされた跡です。
しばらくは反映していたこの国家も、19世紀に入り当時植民地支配を広げていたイギリスによって植民地の肺かとなります。

第二次世界大戦では、日本とイギリスの戦いに飲み込まれ、日本に3年の統治を許した後、ビルマ人の抵抗、さらにイギリス軍からの攻撃、最後はマンダレーの激戦となり、応急は完全に灰となってしまいました。
植民地支配を逃れようと必死になるビルマは、独立戦闘を継続します。
アウンサンはその活動の中心にいた人物です。
アウンサンはビルマ国軍を掌握するとイギリスと独立交渉を続け、とうとう1948年1月4日、当時のビルマは独立を果たしました。
しかし国の英雄としてビルマ連邦を統治したアウンサンは暗殺されてしまい、ここからビルマは混とんとした内乱時代に入りました。

ネウィンというビルマ軍司令官がクーデターを起こし、これに成功、ビルマ式社会主義体制を作ります。
それまでの憲法が廃止され、各企業は国有化され、鎖国政策まで行われこのことが、他の東南アジア諸国からの遅れとなりました。
このような圧迫のある政治が長く続くわけがなく、反政府勢力も多く、さらに国が統治できていないことから麻薬組織の温床のなるなど内部の混沌が続き、一時期は国土の半分を奪われてしまうほどの状態になったのです。

1988年に国軍がクーデターを起こし、ビルマ式社会主義はやっと集結しました。
国軍主体「SLORC」によって軍事政権にかわり、ビルマからミャンマーに国名変更となり、現代に継続しています。

シンガポール人の人柄

グローバル化が進む

シンガポールは、その大半を中国系の人が占めている国家です。
貿易港としての立場が影響してきたように、ビジネスということを重視する国であり、公用語は英語を中心としています。
そのため、中国的な国民性も持っていますが、もっと先進性を持っており、複合多民族国家として、グローバル化が進められているといっていいでしょう。

国民性的にも、戦略的な開発を展開できるだけの広い視野があり、移民を受け入れるだけの度量があります。
逆に考えれば、それだけ移民を受け入れたりしながら開発政策を進めなければ、自国資源の乏しさから、国を維持することができないといえるでしょう。
そのため、生産的事業よりも、ITや金融に関しての事業展開が大きくなっていっているのです。

シンガポールの人に見えるキアスという言葉

シンガポールの人柄を表すのに、キアスという言葉があります。
まけたり失敗したりするのが怖いという意味があります。
これは、絶対に負けたくないということでもあり、さらに人より得をしたいということにつながっていくのです。

たとえば、何かはやりのものがあるとします。
日本人であれば、いいものだから並んでもほしいと思うでしょう。
ですが、シンガポール人では、根本的な考え方がちがうのです。

シンガポール人の場合には、皆が欲しがっているものが良いものだからというわけではなく、自分だけが手に入れそこなってたまるものかと思うのです。
つまり、競争心だけが先行していくといえるでしょう。
並んでいる人がいれば、自分だけ損してたまるかと並んだりするのです。

得したいというところでは、おまけというものにとても執着します。
必要がなくても、おまけで付いてくるものがもらえるのであれば、大量購入したりするのです。
自分だけもらえなかったりするのは、ありえないことだからでしょう。

ちょっと大阪の気質に近いものがありますが、とにかく安く買いたがります。
どんなものでも、その価値がどうであれ、少しでも値引きしてもらいやすくしたいのです。

だからこそ、人のものの値段をよく聞きます。
得をした感覚に浸りたいのか、自分ならいくらにするということもよく言うのです。
そのため、ただのものは何でももらったりするので、使う分だけ取ってくださいと注意書きが書かれたものがたくさんあります。

競争の裏にある急速な発展

キアスという言葉には、熾烈な競争という意味が隠れています。
実力主義の社会であり、能力がなければシンガポールでは生き残ることはできません。

小学校の成績で一生が決まるとまで言われており、常に能力を身につけていかなければいけないのです。
これは国家戦略でもあり、自国に資源が乏しいシンガポール急速な発展を遂げていくためには、なくてはならない考え方であったともいえるのです。