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インドネシアの食文化

インドネシアの食文化を知ろう

インドネシアはイスラム教の影響を色濃く受けているため、食文化にもイスラム教が深く関係しています。
日本人は豚肉をよく食べますが、イスラム教は豚肉がご法度、戒律をしっかり守るイスラム教徒は、お酒も飲みません。
そのため、日本人からするとあまりなじみにくく、どんな料理があるか知らないという方も多いでしょう。

しかし日本人同様、インドネシアはお米文化です。
現代の日本は洋食化が進んでいるので、お米文化が少しずつ壊れてきているといわれていますが、インドネシアの一般家庭では常にごはんがあり、絶やすことがないといわれます。

インドネシアは昔の日本のように大家族制度が今も守られていて、しかも近所とのお付き合いが非常に深い暮らしをしています。
そのため、いつ客が来ても恥ずかしくないようにしておくことが大切といわれているのです。
熱帯気候のため、お米を3期作出来るため、お米の値段は低く、暑い気候の中子供たちにはしっかりお米を食べさせて体力を付けないと・・・というのがインドネシアのお母さんたちの思いです。

焼き飯と小魚、ファストフード店でもごはん有

インドネシアでも、ファストフードブームがあり、ジャカルタなどではファストフード店が非常に高い人気を誇っています。
世界でも屈指のファストフード店、日本でも一番お目にかかる事が多いファストフード店では、日本と同じくハンバーガーが人気というわけではなく、ここでもごはんと鶏のから揚げセットが人気なのです。

日頃頂く一般的な料理としては、焼き飯です。
Nasi Goreng Ikan Asinという塩味の小魚が入った焼き飯はインドネシアのソウルフードといってもいいでしょう。
塩辛い小魚が入った焼き飯は香ばしく、とてもおいしく頂ける家庭料理です。

果物が豊富でたくさん食べられる

熱帯気候であるインドネシアは、果物の宝庫です。
ドリアン、ランブータンなどは日本でも手に入るようになってきていますが、日本ではかなり高価な果物です。
しかしインドネシアでは、当たり前のように手に入る一般的なフルーツなので、日頃から食べつけています。

そして日本でもおなじみのバナナ、これは子供たちがゴルフ場などで売り子となって行商し、小遣い稼ぎをするというほど豊富にあります。
日本のバナナよりも甘く、とてもおいしいバナナです。

にんにく、唐辛子は必須

インドネシア料理に欠かせないものといえば、にんにく、そして唐辛子です。
にんにくというと韓国を思い浮かべてしまうのですが、インドネシア料理はそれ以上ではないかといわれる位にんにくを多用するのです。
一般的な料理には必ず隠し味的に利用されています。

また唐辛子も欠かせないもので、この唐辛子があったことで、インドネシアに香辛料を求めて世界的にも有名な東インド会社を設立したといわれます。
唐辛子は大衆食堂にも必ず置かれていて、インドネシアの方々はその唐辛子を丸かじり!します。
日本人には考えられないことですが、殺菌作用のある唐辛子、それににんにくはインドネシアの方々にとって健康食品ともいえる存在なのです。

インドネシアの言語

インドネシア語はどんな言語?

インドネシアの母国語はインドネシア語という独自の言語です。
人口2億4千万人がこの言葉を話します。
インドネシア語の起源はマレー語で、マレー語はマレーシアとシンガポールで国語となっていて、ブルネイの公用語です。
マレー語ととてもよく似ているインドネシア語は発音、語尾の違いがありますが、インドネシア語とマレー語でのコミュニケーションは可能です。

英語と同じようにローマ字のアルファベット26文字で表記されます。
しかし表記は同じでも、発音が違い、日本人にとっては書いてあるアルファベットを見たとおりにローマ字読みすればよいので、発音を覚えるのは簡単でしょう。
例えば、「a」は大文字「A」小文字「a」と表記され、発音は「アー」です。
「h」は大文字「H」小文字「h」と表記され、発音は「ハー」です。
Lはエルと読みますし、Mはエムと読みます。
VやW、Yなどが少々違い、Xはフェー、Wはウェー、Yはイェーです。

単数、複数の区別がなく、繰り返し言葉が多い

インドネシア語の特徴として、単語の語形変化がないということがあげられます。
~は、~の、~を、といった主格や所有格、目的格などの格変化もありませんし、男性名詞や女性名詞といった区別もないのです。
そのため、覚えている単語が少なくても、簡単な会話ならすぐにマスター出来ます。

更に、名詞の単数や複数がないので、日本語のように人々といった表現がありません。
名詞を重複させる、つまり繰り返しする事で複数を表現します。
但し、単語の重複が複数を表すと決まっているわけではないので、注意が必要です。

例えば、子供はインドネシア語でanakといいますが、子供たちの場合、anak―anakです。
しかしこうした規則に当てはまらないものもあり、イルカは、単体でもlumba-lumbaです。
また飴は砂糖という単語を2回使い、gula-gulaと表します。

単語の構成と基本文型

インドネシアの単度は語形変化がないため、語幹に接頭辞を付ける、接尾辞を付けるなどして表すなど、日本の単語の形成とは違う部分が多く、この点が難しいといわれます。
食べるという単語はmakanで、楽しんで食べるというのはmakan―makan、食べ物はmakanan、つまり語幹に接尾辞の-anがつく、という感じです。

基本文型に関しては主語+述語なのですが、主語省略の形を取る事もあります。
動詞の後に目的語、文頭は大文字、文末に「.」がつきます。
私は大学生ですという時には主語+述語(名詞他)で、Saya mahasiswa.となります。
省略する場合もあり、今日はとても暑いですという場合、Sangat panas.とても暑いですと、主語が省略されています。

この様に、インドネシア語は少し複雑な形を持っているので、規則を知る事が大切です。
名詞の修飾に関しても、日本語と順序が真逆になるので、勉強する際ちょっと戸惑うかもしれません。

インドネシアの宗教

インドネシアの宗教国家といえる

インドネシアの87%がイスラム教信仰、つまりインドネシアの中心的な宗教はイスラム教です。
しかしその他ヒンドゥー教、キリスト教(プロテスタント・カトリック)などを宗教として信仰する人もいます。
インドネシア政府は、イスラム教、キリスト教プロテスタント、キリスト教カトリック、ヒンドゥー教、仏教を、国家公認の宗教として認定し、憲法上の権利保障対象としています。

国民の多くを占めるイスラム教

インドネシアでは、イスラム教が多数派であり、国民の多くがイスラム教を信仰しています。
13世紀、アラブやインドの商人からイスラム教が伝来し、北スマトラ地域からジャワへ伝播していったのです。

イスラム教は左手が不浄とされ、食事や物の受け渡し、握手に利用しないなどが厳しく決められていますし、お酒、豚肉は食べない、ひと前で肌を見せないという事も決められています。
しかしインドネシアのイスラム今日は中近東と比較すると緩やかで、それほど高速は内容です。
マホメット(アラーの使途)商店日、イドゥル・フィトリ(レバラン断食明けの祭、ラマダン断食終了日の翌日か翌々日)などが祝祭日となっており、ここにも強くイスラムが関係していることがわかります。

キリスト教、プロテスタントとカトリック

イスラム教に次ぐ多数派のキリスト教プロテスタント、とはいっても多数派のイスラム教徒比較するとかなり少ない数です。
16世紀ヨーロッパ人が渡来し、またオランダの植民地支配が長く継続したという影響から、プロテスタント信仰が強くなったといわれています。

またカトリックは少数ですが、こちらもオランダの植民地支配などが色濃く影響し、信仰が広まったといわれています。
インドネシアではキリスト生誕の12月25日、キリスト受難の日とされる日などが祝祭日になっています。
イスラム教以外でも、国が認めた宗教である、という事が祝祭日にキリスト教に関係のある日が含まれている、という事でも理解できます。

ヒンドゥー教

インドネシアはイスラム教が全盛となる以前、多くはヒンドゥー教でした。
特にバリ島では現在でも人口の約93%がヒンドゥー教といいますので、古くからの宗教を守っているとわかります。

急速にイスラム化していく中、貴族や学者などのヒンドゥー教信者の多くがバリに移住したといわれます。
バリは古来の文化をそのまま保っているといえる地域なのです。
もちろんヒンドゥー教もインドネシアが認める五大宗教の一つなので、祝祭日を見ると、ニュピ(バリ歴の正月)が祝祭日となっています。

仏教

インドネシアで最も数が少ないのが仏教徒です。
ヒンドゥー教と共にインドから伝来した宗教といっても、その教えにはかなりの違いがあります。
ヒンドゥー教は身分による差別ともいえる、カースト制を認めていますが、仏教はすべての人は平等と唱えます。
しかしこうした大きな違いがありながらもインドネシアの中共存を果たしています。

イスラム教の台頭によって、インドネシアの仏教は次第に表舞台から姿をけし、インドネシアの中でも最少数派となってしまいましたが、五大宗教としてその権利は認められており、インドネシアではゴータマ・シッダールタ(釈迦)のお誕生日が祝祭日です。

インドネシアの歴史

インドネシアの歴史は植民地の歴史

インドネシアの歴史は植民地の歴史といってもいいほど、色々な国から支配を受けてきた不遇の時代が多かった国です。

インドネシアのジャワ島、ここで発見されたジャワ原人の化石は世界を賑わしました。
1981年、ジャワ島に二足歩行の猿人が板という事が、この化石によって判明したのです。
その後、オランダ人の人類学者「ウジェーヌ・ドゥボワ」によって、インドネシア人の祖先と思われる人類が、約80万年から100万年ほど前に生存していたという事がわかりました。

紀元前1世紀あたり、この地に仏教文化、ヒンドゥー文化が伝えられます。
貿易商人が伝えたとされていますが、その後、4世紀から9世紀にはこれらの信仰を中心とする王国がたくさん作られ、寺院、また宗教関連の建造物の建築などが進み、スマトラ周辺、ジャワ周辺に、二大国が作られたといわれています。

インドネシア全域、またマレー半島の一部を支配したヒンドゥー教時代といわれる時代の最強王国が、「マジャパイト王国」です。
この黄金期を象徴する建造物が、たくさん建設されました。
13世紀になるとイスラム教が伝えられ、イスラム小国家が各地で作られるようになり、さらにイスラム教の布教が広がっていきました。

度重なる植民地支配

1511年、インドネシアはポルトガルの植民地となります。
しかしその後にはオランダの侵略が始まり、1691年にはオランダによって制圧されここに有名な東インド会社が設立されるのです。
インドネシアは古来より自由貿易が行われてきたのですが、東インド会社の設立によって自由貿易は否定されることになります。

この時、ジャワ、ジャッカル、スマトラ周辺が200年の長きにわたり支配下とされたのです。
しかしこうした中、古くから自由貿易を続けてきたインドネシア人の商人たちは強く反発し、1799年、東インド会社が解散後、インドネシア国民党の結成に合わせて、オランダから独立しようという運動が始まりました。

第二次世界大戦のさなか、1942年には日本軍の占領にあいます。
しかし1945年、日本が降伏する事によって敗戦となり、このことでインドネシアは、初代インドネシア共和国大統領「スカルノ」によって独立宣言されることになるのです。
こうした時代になってもオランダは幾度となくインドネシアを植民地化しようと武力闘争してきましたが、1950年8月、インドネシア共和国はやっと、完全独立を果たしたのです。
その後、スカルノ体制は1068年に終わりと遂げ、独裁となったスハルトの時代を経てやっと民主化が始まり現代に至ります。

インドネシアはこの様に植民地支配など、歴史の中で他国の影響力が強かった時代を多く持っています。
自由に暮らせる時代が少なかったという事もあり、なかなか統治できなかったのですが、現在は東南アジアの大国となり、広大な国土と資源が重要視されている国となっています。

ラオスの食文化

ラオスにはどんな食べ物がある?

ラオスは侵略、植民地支配、さらに内戦と苦しい時代を潜り抜けてやっと今、幸せな時間を取り戻し、成長し始めています。
ラオスに旅行に行くという日本人も多くなっている中、ラオスにはどのような食文化があるのだろうと気になる方も多いでしょう。

ラオスというと、やはり東南アジア系の辛い食べ物が多いのか?何が入っているのかわからないような料理が多いのか?と不安に思う方も少なくありませんが、ラオスにはどのような料理があるのでしょうか。

多民族国家だから料理も多様

ラオスはその歴史を見ればわかるように、多民族が共に暮らしているという国です。
そのため、各家庭の料理を見ても民族間の違いが見えるという事もあります。
しかしラオスのほとんどの人が、カオニャオと呼ばれるもち米を主食に、毎日の食事を楽しんでいます。

タイ料理は非常に辛いものばかりのイメージを持たれることが多いですが、実はメニューによって辛くないものもたくさんあり、タイに暮らす人たちは特に辛いものを毎日食べているという事もありません。
同じように、ラオスの食べ物もそれほど辛い!というものはなく、どちらかというと、塩気の強い食品や発酵食品類を多く摂取しているといわれます。
また植民地となっていたことで、他国の食文化が少々入っているというのも、特徴です。

屋台を見ると見えてくるラオス料理

ラオスは朝食を自宅で頂くより、屋台で頂くというのがほとんどです。
朝はおかゆや麺類をいただき、夕方はお惣菜、スイーツなどが屋台で並びます。
朝食は麺類が多いです。

具、スープ有、なし、これらを好みで選択します。
テーブルにはトウガラシや魚醤、さらに砂糖やチリソースなどが置かれてて、これで好みの味にします。
揚げパンやライムなどがついてくるのも一般的で、揚げパンをスープにつけていただきます。
また中国の食の面でも中国の影響を受けているラオスでは、黒酢が置かれていることも少なくありません。

また鶏肉と豚骨でしっかりと時間をかけてだしをとったおかゆもとてもおいしく、庶民的な朝食です。
ナンプラーやトウガラシなどを入れていただいてもおいしいです。
中国でも朝食におかゆを頂くことが多いですが、ラオスもこの影響を受けているのでしょう。

ビア・ラオとものすごく甘いコーヒー

ラオスにはビア・ラオと呼ばれるラオスビール、またとてつもなく濃い時もあり、ものすごく甘い事もあるコーヒーを飲むというのも定番です。
ラオスに旅行に行って歩き疲れたら、このとんでもなく甘いコーヒーを飲んだり、ちょっとビールを飲んだりして、ラオスの町を楽しみましょう。

静かな街並みの多いラオスは、心静かにのんびりしたい時、オススメの旅行先です。

フィリピンの食文化

スペインの名残が伺える

東南アジアの国々の料理は、それぞれ特色があります。
フィリピンの場合には、スペインの植民地時代の名残を見ることができるでしょう。
歴史的に王朝が存在しなかったため、ほかの国のような宮廷料理は存在しませんが、スペイン料理の調理技術が取り入れられ、大きな影響を与えているのです。

もう一つが、中国の文化でしょう。
東南アジアの国々でよく見られることですが、多くの華人が入ってきています。
そのため、フィリピン料理には、スペインと中国の2つのカラーがあるのです。

ですが、不思議なことに、アメリカの植民地としての影響はほとんど見られません。
そこまで成熟した食文化がないということもありますが、影響がみられるのはケチャップを使うことぐらいでしょう。
スペイン料理も大量のトマトを使うことがありますが、ファストフードの影響もあり、ケチャップだけが独自文化として残っています。

フィリピン独自の解釈から生まれる食文化

フィリピンの食文化の中で、大きな影響があるのが、ラードとオリーブオイルでしょう。
複数の地区で用いられ食べられていますが、その成立は植民地時代にさかのぼることができるものばかりです。
にんにくもよく用いられており、煮込み料理のプチェーロは、スペイン料理のコシードに瓜二つな料理として知られています。

ただし、スペイン風の名前のついているものは要注意で、似ても似つかないものがたくさん存在するのです。
アサドという料理がありますが、フィリピンではチャーシューを指しています。
これは当然中国料理の影響下にありますが、スペインではローストという意味で豚の丸焼きを意味しているのです。

ほかにもフィリピンには、チョリソー・デ・ビルバオというソーセージがありますが、スペインのビルバオ地方には、ソーセージ自体が存在しません。
完全のフィリピン化されたスペイン語であり、誤解の混じった解釈があるといえるのです。

中国料理にもフィリピン風に解釈されたものが多数存在します。
アジアの国ということで共通点も数多くありますが、中国料理がスペイン化され、それがフィリピン独自の解釈となっていったため、全く別物に変化したものがたくさんあるのです。
調理法としての道具は似ていますが、あくまでも便利であるからであり、短時間で火を通すのに適しているから中華鍋を使ったりするのとは解釈が異なります。

純粋なフィリピン料理はすでになく

純粋なフィリピン料理というものは、実際判別がつかなくなってきているといえるでしょう。
植民地時代の名残だけではなく、交易拠点として、さまざまな人種が入りまじり、文化も交わったことで、判別ができなくなってきているのです。

方向性としては、香辛料が多く使われ香味野菜が大量に入ります。
スペイン料理の影響で、ニンニクと玉ねぎ、トマトの量はかなりのものになるでしょう。
こうした文化に、東南アジア独特の魚醤やココナッツミルクが入ることから、すでにフィリピン独特の食文化へと変貌を遂げていると考えることもできるのです。

ただし、他の東南アジアの国に比べ、そこまで辛くはありません。
どちらかといえば、酸っぱさが好まれ、複雑な味は好まれないのです。

ラオスの言語

ラオスの言葉、「ラオ語」とは

ラオスの言葉は、タイ・カダイ語族に属しています。
この言葉は、漢語と世に似ています。

タイ北東部ではイサーン語が話されていますが、この言葉は西ラオ語と呼ばれ、ラオス国内で主に利用されているラオス語と非常によく似ています。
西ラオ語は、ラオス語の一部だという方もいるくらいです。
またタイ北部ではタイ語(チェンマイ方言)についてもラオ語の一種とされる見方があり、これはユアン語といわれます。

ラオスの首都、ビエンチャンに行くとイサーン語が通じます。
通常、標準語はビエンチャン語といわれているのですが、実はこの標準語はラオス全土に普及しているという事はないのです。

ラオス語の方言

ラオス国内に住む人でも、暮らす地域によって方言があり、この方言によって話が全く通じないという事もあります。
確かに日本の中でも、東北、沖縄地方の言葉はわからないという事も多いです。
沖縄の生粋の方言で話をされると、全く意味が分からない、一語も理解できないという事があります。
また山形の方言も、地域によってまた年代によって全く分からないという事があります。

ラオスの場合、ラオス人同士で方言のある言葉と標準語を離している場合、お互いに理解できますが、ラオス語を理解している外国人が方言のあるラオス語を聞くと、全く理解できないという事があるのです。
標準語となっているビエンチャン方言で話をする人は少ないので、ラオス語を学ぶ人にとっては、ひどく厄介な事と感じます。
ビエンチャン方言のほかにも、ルアンアバーン方言があるので、聞き取りにくいと感じたり、ラオス人同士でも、わかりにくいと感じることがあります。

わかりにくい方言なのになぜラオス人にはわかるのか

稀に、ラオス人同士でも言葉が通じにくいという事がありますが、外国人が聞いていて、違う言葉?と感じる位の方言なのに、なぜかラオス人は方言を理解し、通じ合えます。
なぜなのかというと、ラオスの方言には、一定の変化の法則があるのです。
この法則を、多くのラオス人が理解しているので、意思の疎通に困るという事がないのです。

ラオス語を理解できる外国人にとって、ラオス語の方言が聞き取る事すら難しいと感じるのは、この一定の変化の法則を理解していないからで、現地の方にとっては言葉の変化を聞き取るだけなので、それほど困る事はないのです。
ラオスの標準語とされているのがビエンチャン語、だから外国人はビエンチャン語をラオス語として習う、標準語を利用して丁寧に話しているのに伝わらないという事が多いのは、ラオスに暮らすほとんどの方が標準語とされているラオス語をほとんど使わないからといわれます。

フィリピン人の人柄

ホスピタリティが感じられる

フィリピンの人といっても様々な人がいます。
一般的にフィリピン人の人柄として言われることは、寛容な性格であるということでしょう。
困った人がいれば、すぐにでも手を差し伸べます。

ホスピタリティと呼ばれることがありますが、親切やおもてなしをすると考えるといいでしょう。
思いやりもある人々であることは間違いありません。
この国民性があるからこそ、留学先としても人気であり、世界中で知られるようになったといえるでしょう。

この背景には、フィリピンという国の経済状態を忘れてはいけません。
決して恵まれた国ではありませんが、みんなから支えてもらって生きている人もたくさんいるのです。
その中で、思いやりを持ち、できることをするというホスピタリティは育まれてきます。

のんびりでラテンのノリ

非常に寛容なお国柄ですが、のんびりであまり時間というものを気にしません。
スペイン的であるといってもいいほど、のんびりとした雰囲気が漂います。
その分陽気であり、人懐っこいことは確かでしょう。

ですが、このラテンの乗りは、マイナスにも働きます。
ホスピタリティが強く働くこともあり、傷つけたりすまいとうそをついたりすることもよくあるのです。
借金もしやすく、ついつい見栄も張るのは、ラテンの乗りの一つともいえるでしょう。

そんなノリですので、予定を建てたりするのは苦手です。
貯金も苦手で、お金をもらっても、すぐに使い切ってしまうことも珍しくありません。
それでも、パーティを行ったりするのは大好きで、これでまた散在してしまうのです。

それでも、あんまり気にしません。
明るく楽しく過ごすことが大好きだからです。

人のつながりを大切にする

フィリピンの人は、一度友人関係を築くことができれば、一生の友達にもなることができます。
家族や親戚を重視する傾向があり、本当に仲の良い友人も必死に大切にしようとするのです。

人のつながりを大切にし、思いやりを持って接するフィリピン人。
ダンスが好きで、びっくりするほど陽気ですが、フィリピンで流れる時間を考えると、きっとその意味が分かってくることでしょう。

ラオスの歴史

ラオスのラーンサーン王国時代

ラオスに暮らす人たちはラオ族はとして歴史に登場したのが14世紀、ラーンサーン王国です。
ラーンサーン王国はラオ語では百万頭の象という意味があります。
1353年、ファーグム王という王がムアンサワーという地域を都として建国しました。
アンコールで養育されたファーグム王はアンコール朝のジャヤバルマン9世の娘と結婚し、運勢を預けられたことで周囲を征服し建国を果たしました。

ファーグム王の子、サームセーンタイ王が1373年から統治し、サームセーンタイ王死後、この王朝は15世紀後半になるまで安定しませんでした。
混沌とした時代の中一時的にベトナムの支配下となりますが、1501年ウィスン王が誕生し、その子、ポーディーサーララート王が即位、さらに孫のセーターティラート王が即位、1560年に都をヴィエンチャンに移転しました。
後にヴィエンチャンの建設者とされるセーターティラート王は、ワットホープラケオ寺、タートルアンを建立します。
ビルマに占領されるなどの歴史を経てスリニャウォンサー王が即位した当時が、ラーンサーン王国最盛期といわれます。

分裂からフランス植民地へ

ラーンサーン王国はルアンババン広告、ヴィエンチャン王国に分裂し、占領、新たな王が即位、といった歴史を繰り返します。
1828年になり、ヴィエンチャン王国が滅亡し、この時ヴィエンチャンは徹底的に破壊されます。
更に1860年代になるとフランス人探検家がラオスにも来るようになり、1887年から1895年、オーギュスト・バヴィというフランスの探検家が積極的にラオスの植民地化を勧めました。
結果、1893年、フランス・シャム条約が締結されます。

フランスの支配下となり現在のラオスの国境が画定し、メコン川東岸をフランスの支配とする「ラオス」が誕生します。
1899年には仏領インドシナ連邦に編入となり、フランス人の指揮のもと、ラオ人が愚民視されながら暮らすという時代が継続しました。

独立へ

1945年、日本軍はルアンババーン王国のシーサワンウォンをラオスの王として独立させます。
その後、再度フランスの再植民地化が始まり、1949年、フランス・ラオス教程によってフランス連合内においてラオス王国が独立しました。
しかしその後ラオスは内戦に入り、1975年になってやっと、現在の国家が形成されたのです。

現在ラオスはASEANに加盟し、幸せな時代を迎えています。
ベトナムやビルマからの侵略を受け、フランスの植民地となり、独立、内戦を繰り返したほか、ベトナム戦争時代には空爆の被害を受けるなど、本当に泥沼にはまったような、そこからどうあがいても抜け出せないような、大変な時代を乗り越えてきました。
ラオスは今、幸せを取り戻し、平穏な生活をやっと送る事が出来るようになったのです。

タイの食文化

世界で最も味のバランスが取れている

日本でも大変人気になってきているのが、東南アジアの中でもタイ料理でしょう。
数多くの店舗を見かけるようになりました。

タイの食文化は、だいぶ知られるようになってきています。
世界で最も味のバランスが取れているとも言われ、辛さと甘さ、酸っぱさといった要素のバランスに優れているのです。
香辛料やハーブを多用し、多彩な味付けになるところは、東南アジアのほかの国には見られません。

ただし、日本人から見ると、かなり辛味が強く、見た目だけでは判断できないこともあります。
タイの子供たちは、小さなころから辛さにならしていくため、日本人が思っている以上に子供たちでも辛い料理が食べられるのです。

ふんだんの野菜と魚介類

食材としては、非常に多くの野菜が使われます。
気温が一定しており、食材に困らない土地柄であるというところが大きく影響しているのです。

主食は米ですが、日本とは違う長粒米が食べられています。
これにスープとおかずというのが一般的なスタイルで、ベトナムとは違い麺は軽食の扱いになっているのです。

肉に関しては、仏教徒であるがゆえに大きな制約がありません。
ですが、豚と鶏肉が中心で、アヒルもよく食べられます。
魚は川魚が中心で、揚げたり焼いたりするだけではなく、スープにもよく用いられるのです。

タイ料理の特色として、川エビやカニ、イカも食材にします。
二枚貝も食べるため、日本人にはなじみ安い部分があるのです。

タイの食文化の象徴ともいえる屋台とフードコート

タイの食文化として、外すことができないのが屋台でしょう。
いろいろな場所に屋台があり、格安で軽食から本格料理まで食べることができます。

衛生的な問題もあり、外国人には屋台はむかない面もあることは確かです。
そこで増えてきたのが、フードコートです。

デパートのような場所には必ずといっていいほど存在し、食券式で購入することができます。
屋台に比べて5~6倍の価格になることもありますが、かなりきれいな環境で食べることができるのです。